何かやりたいことはないのか?
連休を利用して最近お気に入りだった米子のサウナ施設に一泊してきた。本当に娯楽が何もない西ノ島から束の間脱出し、美味しいものを食べてお湯にゆっくり浸かるだけで実際かなりリフレッシュできるのである。
サウナルームで考える。
「さて、これからどんな仕事をしようか」
「人生何事も経験」と昔から考えていた私は、生き方についてハッキリした目標などは特になく「とにかく楽しければいい」と単純かつ柔軟だった。中学生になってお祭りの屋台で知り合いの手伝いをしたのが初めての仕事。道行く人々に食べ物や雑貨を勧めて買ってもらう。商品がお金に替わるという感覚をその時に知ったのだった。そして、高校時代は某「コンパル」というコーヒーショップで皿洗いのアルバイト。HONDAの赤い原付バイクを買ったのを覚えている。放任主義の両親は「人に迷惑を掛けなければ、自分のやりたいことをやればいい」というスタンスだった。
大学には行かず服飾の専門学校も卒業目前で辞め、服飾メーカーに就職。百貨店のテナントでデザイナーズブランドの服を売った。当時の言葉だとハウスマヌカンというヤツだ。仕事は楽しかったが、主目的は3.5掛けで購入できる洋服であり、ベーシックないわゆる「売れ筋」はなかなか買わせてもらえないのが不満だった。
(このままではマズい)と思ったのか、数年後父親に「不動産業は面白いぞ!」とやや強硬に勧められる。時代はバブル絶頂期。転売や地上げが流行っていて、駅付近の土地をまとめて大手ディヴェロッパーに買ってもらうのが効率良く儲ける手段の一つだった。銀行ゼネコン相手の接待でゴルフ麻雀しゃぶしゃぶ(高級)クラブの日々。運転手役だった私のセダンのトランクには常にゴルバッグと着替えが積まれており、天気が良い日は偉い人を迎えに行くのが仕事だった。
やがてバブルが弾け、父親が他界してからは不動産業界から足を洗い、(地元名古屋を盛り上げる為にはどーすれば良いか?)と考えた末、メディアとしての紙媒体つまりファッションカルチャーに関する雑誌を作ることを目標にまずはモデルクラブから始める。理由は名古屋という地域が都会の割にダサいというイメージを自分なりに持っていたから。「名古屋発信でカッコイイことをやれないものか」と思っていた。当時まだ28才であり夢を持っていたのだ。しかし現実は甘く、年二回コレクション(ファッションショー)が行われCMのギャラなどが桁違いに高いTOKIOとのギャップに愕然とし、「それならば地元発のタレントを」と音楽関係に舵を切りつつ、興味はナイトクラブシーンに移行。クラブ(アンダーグラウンドの方)イヴェント等を主宰し、夜の業界を盛り上げようと企む。そんな折、物件先行で店舗の運営をすることが決まり、悩みに悩んだ末、「気軽に仲間が集まれる空間」として「カフェ」をオープン。ここで初めて飲食業界に進出するのだが、この時はまだ判断を間違えてはいなかった気がする。まあ何となくだが。時は世紀末の1999年3月。ノストラダムスの予言への不安と来たる21世紀への期待が交錯していた。私はまだ33才で、最も勢いがある頃。しかも独身で養う家族もおらず、怖いモノなど一切なかった。
ブームに踊らされた感の強い6年間ではあったが、確実に人生のピークを迎えていた。「名古屋を盛り上げる」と口癖のように言い続け、イヴェントや展示会、インスタレーションやライヴなどをたくさんやった。カフェという名の自由な空間を利用して、「地域の文化を発信する」ことに徹したのだ。現実的に名古屋が盛り上がったのかどうかはさておき、自分のやりたいことはある程度できたのではないか、という自負がある。そして、ブームが去った後は抜け殻のような状態となり、カフェを締めてから二年程自分一人でスナックのようなバーを運営。その後はタイに移住することとなる。並行して知人と共同でベーカリーカフェを運営していたけれど、そちらにはどーしても力を入れられず、結果的にはオープン15年目で閉店することとなった。
一応会社を経営してしたけれど、利益はほとんど出ず法人税も最低限しか払わぬまま十数年で閉鎖。社会的貢献度はほぼゼロに近い。自分が食べていく為最低限の収入を確保しただけの会社だった。ただ、仕事に対する考え方として「やりたいこと」という条件を曲げたことはない。だから、この後の数々の決断に疑問符が付くのかもしれない。
タイで約十年間「失われた時」を過ごしてから、いよいよお金がなくなって仕事をすることとなる。つまり、「やりたいことをやる」ではなく「お金を稼ぐ」という目的に変わったのだ。ここからは苦難の道が続く。お金目的の仕事、つまりビジネスの才能がまったくないのだから仕方がない。
そして今。
何かやりたいうことはないのか?と自分に問うても何もない。
タイに移住したばかりの頃、「バンコクの若者を盛り上げたい!」とか、ヴェトナムで「ハノイの若者たちが日本で楽しく稼げるように!」などと漠然と思うことはあった。つまり、海外と日本の橋渡し的な。しかしそれらはあまりにも漠然としていて雲を掴むような話だ。具体的にどーすれば良いか?自分がやるべきこととは?よく分からないままハノイでオープンしたレストランはアッと言う間に潰れ、タイで就職した会社の運営するレストランもうまく行かずアッと言う間に退職。島根県の離島のレストランも二年半で卒業することとなる。
正直なところ外食産業はもう懲り懲りだ。利益を生み出す仕組みの構築が難しいし、まず体がついていかない。気力体力共に自分が相当衰えた事実を目の当たりにし、どんな仕事が良いのか本当に悩む。ただお金の為だけでなく少しでも自分がやりたいことをチョイスしたいのだけれど。
例えば今回滞在した私が大好きなサウナやスーパー銭湯に勤めるのはどうだろう。とか、映画が好きだからレンタルDVDショップはどうか。など、単純な目的。もしくは、ヴェトナム人を日本に送り出しこちらで受け入れる仕事とか。人材紹介業か。う〜む。どれもピンとは来ない。
ただ単純にお金だけの為なら、今求められているのは例えば配送業。某Amazonなどの小さな荷物をコツコツ配って一ついくらで請け負う仕事とか。いっそスーパーの品出しレジ打ちとか。う〜ん。どーかなあ。
思い切ってYouTubeをやってみるとか?いやいやいやおそらく向いていないだろう。このサイトだってまともに運営できないくらいなのだ。
ま、やりたいことなど簡単に見つからないのは当たり前。「ふ」としたきっかけで何か思い付くかもしれないから、のんびり待つことにしよう。・・・などと言ってはいられない。何しろ期限はもうすぐそこなのだ!
残り10年足らずの時間を悔いなく過ごす為、良い選択ができるよう
願うのみである。
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